解釈が、いつの間にか事実にすり替わっていた

Image by Ivana Tomášková from Pixabay

はじめに

感情ジャーナリングを続けるなかで、私は「見たこと」と「そこから考えたこと」を区別できないまま、もっともらしい解釈を事実のように扱っていることに気づきました。

両方を分けて書くようになってから、答えを急がずにいられることが増えました。その一例を書いてみます。

「わざとだ」が事実になるまで、そして保留するまで

※出来事は、わかりやすさのために背景を省き、少し単純にしています。

職場のチャットで起きたこと

職場のチャットで、連絡を入れました。

ところが、Bさんからのリアクションがありませんでした。自分が見ていた範囲では、過去、ほかの人からの似たような連絡にはBさんがリアクションしていたように感じていました。

「あれ?」と、一瞬止まりました。たまたまなのか、わざとなのかはわかりません。でも気づくと、頭の中で物語が進んでいました。

「あれ?いつもリアクションするのに、なぜしないのだろう。これはわざとなのだろうか……」

最初は疑問でした。

でも、考えるうちに「前はしていたのに、今回だけ」と、理由を探し始めていました。以前、特定の人の連絡にだけリアクションをしない人を見たことがあり、その姿が重なります。そして「わざとだと考えれば、辻褄が合う」と思い始めました。

辻褄が合うと、今思えば、それはもう解釈ではなくなっていました。私の中では「わざとされた」が、ほぼ「事実」になっていたのです。そうなると、Bさんの普段の言動まで、そのレンズで見えてきます。Bさんの印象が悪くなりかけていました。

こう書くと、「そういうことは誰にでもあるのでは」と思われるかもしれません。まさにそのとおりであり、誰にでもあることだと思います。ただ、当事者になると、頭の中ではこうなっています。「私の説明は筋が通っている。だから正しい。だから事実だ」。筋が通っていることと、事実であることは別なのに、自分ではその境目に気づきにくいのです。

まず、頭の外に出してみる

もやもやしたまま考え続けると、頭の中の解釈は「見えているもの」=「事実」そのものとして働きます。

そこで、思ったことをそのままメモアプリに書き出しました。きれいにまとめようとはせず、浮かんだ順に書いただけです。

書き出すと、解釈が「自分が書いた文章」に変わります。読み返せる対象になるので、自分の考えを少し外から眺められました。

3つの欄に分けてみる

次に、書いたものを「事実」と「解釈」に分け、「わからないこと」も書きます。

  • 事実:私の連絡に、Bさんのリアクションがなかった。見た範囲では、過去、ほかの人の連絡にはリアクションがあった。
  • 解釈:わざとだ。以前見た人と同じかもしれない。
  • わからないこと:Bさんが見たかどうか。忘れただけか、忙しかっただけか。何も思っていない可能性もある。

並べてみると、事実は2行だけでした。解釈は1〜2行ですが、「わざと」という強い決めつけを含んでいました。

「そうとも限らないよね」が出てきた

書いているうちに、「そうとも限らないよね」という言葉が出てきました。続けて、こんなことを書きました。

「Bさんがリアクションをするかどうかは、Bさんの事情で決まること。それを私が『自分への態度だ』と受け取るかどうかは、別の話」

Bさんの行動と、それを私がどう意味づけるかは、切り分けられるということです。行動は一つでも、意味づけは一つに決まりません。

「そうとも限らないよね」は、解釈を良いほうに言い換える言葉というより、決めずに置いておくための言葉です。私にとっては、おまじないのようなものになっています。

決めつけていたとき、私に起きていたこと

「わざとだ」と思った瞬間から、二つのことが起きていました。

一つは、情報の集め方が変わることです。決めた答えに合うものは目に入り、合わないものは、無意識に流していました。
答えを裏づける材料を、自分から探すようにもなっていました。「そういえば、あのときも」と過去の出来事を思い出しては、「やっぱりそうだ」と思う。材料が集まるほど、根拠が増えた気がしていました。でも、それは解釈に合うものだけを拾い集めた結果でした。そうなってくると、間違いだったと認めるハードルが上がり、方向転換もしづらくなります。

もう一つは、観察から実行に切り替わることです。
それまでは、「これはどういうことだろう?」と問いながら、様子を見ていました。ところが、「わざとだ」と答えを決めた瞬間、問いが「ではどう対応しよう」に変わりました。私の場合の答えは、「こちらも距離を置こう」でした。
そうなると、「本当にそうなのか」と確かめる問いは、頭から消えていました。

決めずに、置いておきました

Bさんの意図は決めず、そのままにしておきました。「わからないことは、わからないままでいい」と置いておく感じです。このように、答えを決めずに置いておくことを、この記事では「保留」と呼んでいます。

とはいえ、その間は落ち着きませんでした。早く、この不安から抜けたいという気持ちもありました。「わざとだ」と決めてしまえば、「そういうことか」と納得して、もやもやが終わったような気になります。でも、そのたびに「そうとも限らないよね」と唱えて、決めずに置き直していました。

後日、事実が増えました

数日後、Bさんがほかの人の連絡にもリアクションをしていないことに気づきました。さらに、Bさん本人から「別件で多忙なため、リアクションができていない。リアクションが漏れている重要なものはリマインドしてほしい」という話がありました。

決めずにいたので、事実が増えたときに、解釈を更新しやすい状態でした。もし最初の物語を信じたままだったら、Bさんへの印象も含めて認識し直すのにハードルがあったかもしれません。

ただ、保留したから事実が増えたわけではありません。それは偶然でした。

事実が増えても、理由は決めない

「Bさんが多忙である」ことは、本人の発言があったので事実です。

一方で、「だから私の連絡にリアクションがなかった」かどうかは、個別にBさんに確かめたわけではないので、解釈のひとつです。

事実が増えても、理由まで決めなくていい。ここにも「そうとも限らないよね」をかけて、置いておきます。

最初の一歩

最初の一歩は、難しくありません。

  1. 気になったことを、そのまま書き出す
  2. 「事実」「解釈」「わからないこと」の3つに分ける
  3. 事実が思ったより少ないことに、気づいてみる

「事実」と「解釈」を分けるときのコツは、「3人いたら、3人とも同じように言えること」だけを事実にすることです。たとえば「リアクションがなかった」は、誰が見ても同じように言えます。一方、「わざとだ」は、見る人によって変わるので解釈です。迷ったら、「現場を見ていた他の人も、同じ出来事を、同じ言葉で書けるか?」を目安にしてみてください。

私の場合は、これで答えを急がずにいられることが増えました。誰にでも同じように合うかはわかりません。それでも、もやもやした日があれば、ひとつ試してみてください。

おわりに

ここまで読んで、「当たり前のことでは?」「事実と解釈を分けるなんて簡単でしょ」と思われたかもしれません。読むだけなら、私もそう思います。

でも、「実際の自分の体験」で「そのときにそうだと思っている自分」が書いてみると、意外なほど難しいです。ほんの少しの事実から組み上げられた「もっともらしい話」は、とてもよくできています。書いている本人には、事実にしか見えません。私も、何度も勘違いをしてきましたし、最初のうちは、事実として書いたことを「思い込みや解釈」として扱うことに抵抗を感じていました。

難しい理由のひとつは、答えを急ぐ習慣が身についているからだと思います。仕事では、課題が起きたらすぐ原因を見立て、対応策を出すことが求められます。私もその速さに慣れていて、相手の意図のように確かめようのないことにまで、同じ速さで答えを出そうとしていました。仕事ではその速さが役に立つ場面も多いのですが、確かめられないことに持ち込むと、「もっともらしい話」がそのまま事実になってしまいます。

それでも、事実と解釈を分けることは続けるうちに慣れてきました。慣れてくると、自分の過去の経験から展開する「物語」にびっくりします。そして、むしろ面白いと思えるようになりました。

だから、最初のうちはうまく分けられなくても大丈夫です。手が止まったところは、「私は今ここを、事実だと思っているな」と気づけた場所です。それだけで、一歩目としては十分だと思います。

「そうとも限らないよね」という一言を、お守りがわりに持ち帰ってもらえたらうれしいです。

タイトルとURLをコピーしました